季刊誌 駒木野 No.162
東日本大震災における支援活動を通じて
事務長 神 マチ
「何か出来ることがあるはずだ。」3月11日に起きた東日本大震災の被害の実情が明らかになるに付け、私たちはそんな思いが募っていました。比較的早期に日精協より災害医療支援チーム(JMAT)の募集(医師・看護師・事務等による病院単位の編成チーム)があり、早速応募者を募ったところ看護師、PSW、作業療法士から15名の職員が手を上げてくれました。しかし、当院は時期的に医師を含む編成チームを組む事は困難であり、JMATへの登録は見送ることにしました。そんな折、理事長より「あさかホスピタルも地震の被害を受けているので何とか応援したい」との強い意向が示されました。あさかホスピタルとの調整の結果、原発避難者を含む2,000名以上の方が避難している郡山市内の避難所で「あさかホスピタル被災者支援チーム(あさかホスピタル、慶応大学医師、香川県の五色台病院、駒木野病院による混成スタッフ)」(支援者チーム)の一員としての活動が提案されました。取り急ぎ提案内容を織り込んだ当院独自の派遣者要綱を作成し、看護師8名、PSW7名、作業療法士1名の計16名のスタッフが看護+PSW又は作業療法士による2人1組8班体制を構成し、4月6日に精神科専門スタッフとしては一番乗りで現地入りし5月31日まで支援者チームの一員としての役割を果たしてきました。
当院から派遣した支援スタッフは、連日のレポートからも読み取れるように、当院が得意とするチームワークを存分に発揮し、避難者の方々のニーズの発掘と対応という専門的な役割を担い、8日目に交代するスタッフへの申し送りに細心の注意を払いながら繋いでくれました。関係性が出来つつあるところで次班にバトンタッチする複雑な心情を抱えつつも「赤いTシャツの人に相談すればいい」とまでしたスタッフ一人一人の力量と姿勢に敬意を表すると共に、ここで得た教訓もまたかけがえのない大きなものであったと察します。
そして「あさかホスピタル被災者支援チーム」に参加することを決定した病院としては、スタッフ全員が、被災された方々のニーズにタイムリーに適切に対応し、体調を崩すこともなく元気に通常の業務に戻って活躍している姿に安堵しています。この機能性の高い支援体制と活動は阪神淡路大震災時の課題でもあったことを思い出しています。
緊急特集東日本大震災
ビックパレットふくしまへの被災者支援報告
■ビックパレットふくしま
福島県郡山市にある多目的施設。今回の東日本大震災では、福島県内の地震や津波、福島第一原発事故により多くの被災者が避難されている避難所です。
“災害支援チーム駒木野”繋ぐべきもの
院長 菊本 弘次
本年4月6日から始まった当院の福島県郡山市あさかホスピタル災害支援は、5月末日、その活動を五色台病院に引き継ぐ形で終了しました。現地の支援に携われた16名の皆さま、本当にお疲れ様でした。そして有難うございました。
今なお続く未曾有の災害に対して、どこまで行っても十分ということはありえません。しかし、駒木野病院にとってその意義は非常に大きいものです。過日、支援チームが繋いだメモを見させていただきました。それは「災害支援チーム駒木野の皆様へ」というタイトルで始まっていました。
一枚目だけですが、一部を勝手に引用します(承諾も得ず申し訳ありません)「あさかホスピタルの一員として活躍して下さい。精神医療チームもこれから増えてくると思いますが、まず、最初にこの被災地に入ったのは駒木野チームです」震える言葉です。自らの活動に対する誇りと決意を示すとともに、後に来るものへ勇気を与える言葉です。駒木野スピリッツは繋がなくてはなりません。
- 避難所内に設置された「こころの健康相談コーナー」です。
- 避難所には心温まるメッセージが数多く寄せられました。
- あさかホスピタルのスタッフTシャツを着用して支援活動をしました。
- 他県の支援チームとともに連携しながら支援活動を行いました。
- アメリカ在住の日本人青年より寄せ書きが届きました。
- 避難所に隣接して建設された仮設住宅です。
Report1
本2病棟 看護師長
佐藤 しづ女
あの地震災害から1カ月の頃、「福島の災害支援が決定した、第一陣で佐藤さん行くぞ!!」と看護副部長からの一声を受け、名乗りを上げ覚悟はしていたものの突然不安が襲ってきた。いったい被災地でこの私に何ができるのか、果たして役に立つことがあるのかと。腹を据え、被災地でなにが起ろうが待ち受けようが後悔は決してしまいと挑んだ福島県のビックパレットでの支援活動。不衛生極まりない避難所で被災者は多くを語らず耐えていた、これが俗に言う東北人の我慢強さなのかと思える程。地震・津波・原発、三重苦を背負わされた被災者、頑張って!!などとはとても言える状況でも無く、切ない思いでの支援活動。あの日、送り出してくれた人達、そして留守を預かってくれた病棟スタッフ、組織の懐の深さや温もりに今更ながら感謝である。
Report2
南2病棟 看護師
佐々木 孝
今回の東日本大震災で被災された方々を見て、人事では無いように感じた。私は東北出身であり、そのことも関係したかもしれない。とにかく「対岸の火事」としては片付けられず、被災地支援へ手を挙げた。私は第3班としての派遣となった。様々な不安と、何か避難されている方々のお役に立てればという、ほんの少しの期待を胸に東京駅を発った。避難している方は1500人ほど居られた。廊下にダンボールで自分のスペースを作り、励ましあいながら生活を送っていた。私は何人もの被災者との関わりを通して、計り知れないほどの辛さ・悔しさ・やりきれなさなどを抱えているのだということを実感した。またこのような心境でも、笑顔を絶やさず、私達を気遣う言葉の端々から多くの優しさも感じた。私は避難されている方の笑顔・優しさを活力にし、支援活動を行えた。これからも大変な日々は続くと思うが、笑顔・優しさを大きな活力として欲しいと願っている。
Report3
ソーシャルワーク科
中込 吉宏
避難所のピリピリした雰囲気の中、被災されている方に、どのように声をかければよいか分かりませんでした。そのような中、広島県から支援にきていた医師から「被災されてきた経過を聞くことで、心的ストレスの軽減になる。医療に結びつけるのでなく、避難所に至るまでの状況を話してもらうことで、随分と気持ちが楽になるはず」というアドバイスを受けたことが大きかったです。恐る恐る60代の夫婦に声をかけ、お話を伺うことが出来ました。「マスコミの人から色々聞かれて嫌だったけど、あなたに聞いてもらえてよかった。ありがとう」と言われ、返す言葉が見つかりませんでした。「相手の思いを聴く」ことの大切さを改めて感じることが出来ました。
Report4
デイケア科 なごみ
岩下 友美
私は、震災から二ヶ月目の5月11日から8日間、第6班として支援にあたらせていただきました。支援先では継続支援に加え、圧倒的な活動量と娯楽の乏しさに着目し、救護班の別のチームの方々とも手を組んで体操・歌・折り紙等の活動を取り入れました。限られた方々にほんの少しの間だけではありましたが、笑顔と活気を届けることができたように思います。今回このような活動ができたのも、一緒にチームを組んだ方や前任・後任者の方々、何よりあさかホスピタルの皆様が支援のベースを作っていてくださったお陰だと心から感謝しています。今後、避難生活は長きにわたると予想されます。私は今回の支援の経験を通して“少しでも多くの人々が被災地のことを忘れずに『何かできることはないか』と関心を向け続けることが被災された方々の心の復興の支えになる”と改めて感じ、これからも応援していこうと思いました。貴重な経験をさせていただきありがとうございました。
駒木野病院 新病棟地鎮祭
安全祈願祭は日吉八王子神社にて、平成23年5月12日10時30分から、日吉八王子神社宮司のもと、建設関係者、駒木野病院幹部職員の約20名が参列し、神事式次第に従い厳粛に執り行われました。今後の予定では、お盆前までに地下1階を立ち上げ、平成24年5月の竣工を目指しています。
三多摩病院野球連盟 春季大会
駒木野病院 野球部 準優勝!
今年は、2名の新入部員が入り現在18名で活動しています。活動内容としては月に2度の練習、春季大会、秋季大会の参加です。今年の4月に行われた春季大会では、初の決勝戦進出という快挙を成し遂げることができました。そして、結果は準優勝!この結果から次への目標を優勝とし、練習に励んでいこうと思います。大会の観戦やプレイヤー、マネージャーを随時募集しています。今後も応援の程よろしくお願いします。
部員紹介
部長:松本市太郎 田代健太郎 服部克彦
藤田裕介 星野俊介 日高靖士 河野達也
下地光一郎 山下俊哉 葛島慎吾 宍戸嘉
行 辻武志 永友粛司 山本浩二 井出光吉(順丌同)
【マネージャー】
斉藤志津子 久保恵 布市夏海
駒木野グリーンカーテンプロジェクト
事務部 井出 光吉
東日本大震災から4ヶ月以上が経過しましたが、未だに復興の絵が描かれておらず残念に思います。また、被災した皆様には心よりお見舞い申し上げます。日本中で様々な理由はあるにせよ、この夏はどこに行っても節電は必要な取り組みとなっています。そこで当院でも節電の取り組みの一つとして、南側の窓を植物で覆ってしまおうという計画を立てました。まだこの記事が出る頃は、葉っぱが窓一面を覆い尽くしてくれてはいないと思いますが…。ホームページで継続して報告させていただきますので、後々もご確認いただけたらと思います。
編集後記
例年なら、やっと梅雨が明けこれからが夏本番となりますが、今年はいつもより夏の訪れが早いようです。電力不足から節電意識が高まり、一人ひとりが様々な工夫をしています。風鈴、うちわ、打ち水…昔から現代に続いている日本文化を、もう一度見直す時期なのかもしれません。(K.N)